ニイハウ島事件

*注意:残虐なシーンが含まれていますので苦手な方は遠慮ください。


以前、ニイハウ島についてお話しした時に

ニイハウ島事件に少し触れました。


ご存じない方も多い話だと思いますが


1941年12月7日に大日本帝国海軍による真珠湾攻撃に加わった戦闘機が

ハワイ諸島、ニイハウ島に不時着して起きた一連の出来事です。


当時、ニイハウ島はロビンソン家が使用に所有していて

島民のほとんどがハワイアンで彼らの第一言語はハワイ語でした。

他には少数の日系アメリカ人や白人の住人もいたと言われています。


当時、ロビンソン家から許可を得てのみ入ることができたニイハウ島ですが

島民の友人や親類以外許可が下りることはありませんでした。


12月7日、日本海軍の西開地重徳(にしかいち しげのり)一飛曹は

真珠湾攻撃の第ニ波攻撃に参加したのち、搭乗した戦闘機に銃撃を受けニイハウ島の野原に不時着しました。

その600メートル近くに住民のハワイアン、ハウリア・カレオハノがいました。

カレオハノは真珠湾攻撃に気づいていませんでしたが、日本とアメリカの関係が悪化していることは新聞を読んで知っていました。

カレオハノは西開地と戦闘機を見て彼が日本人だと気づきました

不時着の混乱の中、彼の銃と書類を奪いました。


カレオハノと集まってきた住民たちは、西開地を伝統的なハワイ式の歓迎やパーティーでもてなしましたが、日本語と片言の英語のみ話す西開地を住民たちは理解することはできませんでした。

そこで、住民たちはハワイアンの妻を持つシンタニ・イシマツを通訳として呼びました。


シンタニは事前に状況を把握しており、険悪を抱き通訳しました。

そのためあまり言葉を交わさなかったと言われています。

通訳をしていたシンタニは嫌になり逃げてしまいました。

その後、原田義雄を呼びました。


比較的友好的だった原田に西開地は真珠湾攻撃に参加した事実を明らかにしました。

原田はその事実を非日系人の住民には知らせませんでした。


しかし、その日の夜、住民たちはラジオで真珠湾攻撃のことを知り

西開地を問いただしました。

原田が事実を住民に伝えると、ロビンソンが翌朝ニイハウ島に来る予定だったため西開地をロビンソンに託すことが決まり、住民たちはロビンソンを待ちました。

しかし、アメリカ軍が真珠湾攻撃の数時間後、島へのボート移動を禁止してしまい

ロビンソンはニイハウ島に訪れることができなくなりました。

その後も数日、西開地は足止めされましたがロビンソンは訪れません。

住民たちは禁止令のことを知ることなく西開地は一時てきに原田の家に監視5人とともに移動することになり、原田と西開地はたくさんの会話をしました。


12月12日西開地の依頼を受けたシンタニはカレオハノに対して高額の現金と西開地の書類をトレードしようと持ちかけるもカレオハノは拒否した。

シンタニの帰りを待たず原田と西開地は家にいた監視を襲い、倉庫に閉じ込め1人は人質として連れ銃で武装しカレオハノの自宅へ向かった


シンタニが出て行って数分、カレオハノは武装した原田と西開地を見つけ納室に隠れました。


原田たちはカレオハノを見つけることができず近くにあった西開地が乗ってきた戦闘機へ向かった。

カレオハノはそれを見て納室から逃げ、近くの住民たちに逃げるように言いい、住民たちは洞窟や遠い浜辺に逃げました。


カレオハノは家族に書類を託し、ロビンソンに出来事を伝えるため住民5人と共に救命ボートに乗り

人力では10時間かかるカウアイ島に向かいました。


しかし、ロビンソンのニイハウ島への渡航は許可されませんでした。


一方、原田たちは戦闘機の無線を使おうと試みたが失敗し

機体に火をつけ、カレオハノの家にも火をつけました。


12月13日朝、原田たちは島の住民ベニ・カナヘレとその妻エラを捕えカナヘレにカレオハノを探すよう命じた。

カナヘレはカレオハノが島にはいないことを知っていたが探すふりをしていた。

しかし、そのことが西開地が気づき原田はカレオハノが見つからなければ全住民を西開地が殺すだろうと言った。


カナヘレは原田の疲労に気づき隙を見てカナヘレとエラは西開地を襲った。

西開地はブーツから銃を出したがエラが腕をつかみ銃を叩き落とした。

原田がエラを引きはがしカナヘレの足の付け根、太もも、腹部を撃ちました。

しかし、カナヘレは西開地を石壁に投げつけエラがひるんだ西開地の頭を岩で殴り、カナヘレは持っていたナイフで西開地の喉を切り裂きました。


西開地が死んで絶望的になった原田は散乱銃で自殺した。


12月14日アメリカ軍局、カレオハノ等、ロビンソンがニイハウ島に到着し

シンタニ他1人が拘留され、シンタニは収容所へ送られたものの、その後無実が判明しニイハウ島に戻りました。

他の1人も無実が証明され解放されました。


カナヘレはカウアイ島の病院に収容され治療を受けて健康を取り戻しました。


現在も西開地が乗ってきた戦闘機の残骸は真珠湾のフォード島のアメリカ海軍基地内にある太平洋航空博物館内に展示されているそうです。


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